障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすること、悔しさ・不安・喜びを通しての 自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します!

難しい方をどうにかしようとするよりも、自分ができることに気持ちとチカラを注ぐ娘 1歳

娘は現在1歳6か月。
台所で社会科見学をするのがが大好きだが、 
リビングスペースとキッチンスペースを仕切る引き戸の入り口にはベビーゲートが設置してある。
最近はリビングに暖房を入れて部屋を暖めることが多いので、
私が台所で食事の準備をしている時は、引き戸を閉めて、
娘はリビングで待っていてもらう。

昨日も私が台所に入るのを追っかけてきた娘。
入口の所で
「待っててね。「と声をかけ、戸を閉めた。
少しの間、開けてよアピールがあったがすぐに静かになる。

ある程度準備を終えてリビングの様子を確認すると、
自分のテーブル椅子に自らよじ登って座り、一人でおしゃべりしたりテーブルをトントンたたいて待っていた。


この様子から思い出したのは、3か月半前のこと。
娘は右手の指先からわき腹にかけてやけどを負ってしまい、
右手先から腕、上半身まで病院で包帯でぐるぐる巻き状態にされた。
ある程度大きくなればここまでする必要はないのかもしれないが、
薬を塗布した患部に自ら触れないようにするため、
患部を保護するためには必要な処置だった。

しかし身体の自由はかなり遮られる。
ぐるぐる巻きにされ、きっと利き手の右手が使えなくてかんしゃくを起こすだろう、と覚悟していた。

ところが、
使うことが難しくなった右手にかんしゃくを起こすこともなく、
1日半は静かに過ごし、だんだん活発になって行動力を取り戻した。
こどもの順応性と成長発達に驚愕。

四肢が三肢になっても上手にバランスをとっている。

歩き始めて間もない頃だったが
翌日にはハイハイをし、
その次の日には立ち上がって、再び歩き出した。

ソファにもよじ登った。

左手だけで自分の身体を支えてばらんすとったり
ころんでも手をついたりつかまって立って動いている。

食事をつまむのも、おもちゃを扱うのも左手でこなしていった。
大変機用に。

「娘は、使えなくなった右手を嘆くのに気持ちと時間を使うことなく、
使える左手をいかに上手く使いこなして生活するか、
そっちに気持ちとチカラを注ぐことをを選んだんだな」
そう思うと、「すごいな、あっぱれ✨」だった。

そしてそんな娘の様子がただただ有難かった。

最近、意思表示がはっきりしてきて、
「No🙅」を「いやや」と言葉で表現するようになった娘。

一般的には、2歳ころに「いやいや期」が到来するようで、
それとこれとは別かもしれないが、
難しそうなことにひたすらダダをこねるより、
切り替えが素晴らしく、
自分のできることで準備をしたり、可能性を拡げたりしてくれる娘の様子には
学ばせてもらっているなと思う。

親子関係に 保護者と被保護者の立場はあれど、
上下関係はなく、
互に違う人格なのだから、互いに学びあえるのだと信じられる。