視覚障がいがあることを社会の枠組みの中で認められると、
障碍者手帳の交付を受ける。
障碍者手帳の交付を受けると、
程度によって行政の社会福祉サービスを受ける対象になる。
社会福祉サービスとは、
視覚障がいの場合は、例えば
外出時にガイドさんに同行してもらう、
家事を手伝ってもらう、
日常生活の質の向上や就労準備のためのトレーニングを受ける、
が主なラインナップとなっている。
いつでもどれだけでも利用できるものではなく、
あくまで状況によって必要と認められた場合に、決められた期間/時間数の中で利用することができる。
私が現在お世話になっているのは外出時の同行。
ただし、同行ガイドさんの支援の依頼は次のような場合にのみお願いするようにしている:
・一人での遠方外出
・目的地への訪問頻度が低い/初めてで、道のりがあいまい/わからない時
基本的に電車移動の部分、駅の窓口から目的の駅までは、駅員さんに支援をお願いできる。乗り換えが含まれる場合は乗換駅で駅員さんが乗り換えをサポートしてくれる。特に大きな駅での乗り換えや、アリの巣状態の地下鉄駅構内の乗り換え時のサポートはとっても有難い。
よって、私は次のような場合には同行ガイドさんの支援はお願いしていない:
・近所のスーパー、薬局、コンビニ、外食先、銀行、郵便局、美容院など一人でも場所馴染みのある場合
・遠方の外出でも訪問先に駅での待ち合わせをお願いできる場合
・遠方の外出でも一人ではなく、誰かと会う場合(目的地の最寄り駅で待ち合わせしてもらう)
もちろん、サービスの利用の仕方は人によって様々で、それぞれの状況による。
私も目の状況が変わったり、自分の中の優先順位が変わればもっとサービスの利用範囲を拡げることがでてくる可能性もあるし、
それでいいと思っている。
この"利用はできるが、してもいいししなくてもいい”"状況、
選べる状況なことが何より有難い。
例えばこの同行ガイドさんが何らかの理由で手配が難しかったり、急な予定が入りだけど1人で向かうのは難しい時に、
他に頼める環境があるともっともっと有難い。
選択肢は多い方が豊かだ。
私もガイドさんや家族とお店に行くこともある。
それはそれでスムーズだし楽だから、状況によってそちらを優先させることもある。
ただそうすると、付き添いがいるから、付き添いの人に全部お任せになってしまい、私とガイドさん・付き添いの間でほぼ全てのことが完結してしまう。
これが毎回だともったいない気持ちににもなる。拡がっていかないのだ。
私は、特に近所の店舗ではその店のスタッフの方に案内をお願いするようにしている。
店まで自分で往ければ、その先はそのお店・場所のスタッフの方に商品選びを手伝ってもらったり、場所の案内をお願いするのだ。
そうやってお店の人とコミュニケーションをとったり、だんだん仲良くさせてもらえることを楽しんでいる。
私がサポートを必要としなければ、もしかしたら一言も交わらずに過ぎていってしまった人たちと関わることが出来るのだからお得だ。
きっと私は、一般的には見せていないその人の部分を見せてもらえる機会にも恵まれていると思う。
更に、そうすることで、私なりの多様性の街開発を行っているつもりにもなっている。
障がいのことを、知らない・関わったことがない→どうしていいかわからない・何もしない・無関心
そんな状況が出来ているとすれば、関わる機会やきっかけを創ればいいのだと思う。
きっかけがあれば、人は慣れていく生き物だから。
街が慣れればいい、それだけのことだと思う。
自分が少しでも過ごしやすくなるようにすることが、他の人の約にもたてていたら嬉しい。
よく助けられる側より助ける側の方が立場が上のようなイメージがあったり、
助けられる側の方だけサポートを享受しているように語られることもあるが、
私が救われたのはこの言葉:
助ける も 助けられる も 同じ価値♢
本当にそうだと思う。
サポートを提供する側は、サポートすることを通して貴重な経験を得ている。
サポートすることを通して、自分の人生にはなかった切り口でものごとをとらえることができる。
新しい経験を得ている。
引き出しが増えるのである。
このブログも文章を通して、私の経験からとらえたものごとの見方を共有しているつもりだ。
私がしている経験はユニークで、しかもそれを私が語ることでさらに価値が生まれていると思う。
だから、私も、このページを見つけて下さったあなたも、ラッキー。よ✨