障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすること、悔しさ・不安・喜びを通しての 自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します!

「視覚障がいを持つ」このあいまいな共通点

いわゆる「視覚障がい者」には、実に様々な人がいる。
視覚障がいを持つと生活の仕方がそれなりに変わってきたりもするので、
視覚障がいの共通点がある者同士で集まると、話が盛り上がったり、共感できたりするケースは大いにある。
ただ、当たり前だが、「視覚障がいを持つ」このあいまいな共通点だけでひとくくりにされているだけだから、みんな違う。

まず視覚障がいといったところで、その背景は
視覚を使ったことが生まれつきない場合、
幼少期から一定の見えづらさをもっていた場合、
ものごころついてある程度の年齢まで視覚優位で過ごしていた場合などに分けられる。

さらにこの状況と掛け合わせて、どのような学習・教育環境を経てきたか、
盲学校か、一般校か、でも結構変わってくる。
もちろんそれぞれ良し悪しあるだろう。

さらにさらに、家族環境、人とのめぐり合わせ、本人が本来持ち合わせている能力や気質で様々な人生パターンが出来上がる。

社会の成り立ちと共に、わかりやすさを目的に多くの言葉による分類が作られてきた。
例えば発達障がいのように、ひと昔はなかった属性が出来て、名づけられたことに安心感を覚える人もいれば、くくられてしまったことに窮屈さを覚える人もいる。

整理してまとめることがわかりやすさにつながることもあれば、
まとめて整えてしまうことで、実は重要な要素が隠れてしまったり拾いにくくなってしまったりすることがある。

分類も分解も、実は自由自在であること、
一つの言葉の定義の奥に色んな意味愛と要素が含まれている場合があることを常に覚えていたい。