障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすること、悔しさ・不安・喜びを通しての 自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します!

障がいとは、不幸化?ギフトか?それとも?? (1)

「障がいはな、ギフトや。
ただ、障がいを持った、このこと自体は不幸や。ここを取り違えたらあかん。
不幸として受け止められて、はじめてギフトになるんや。」

知人(中途視覚障がい当事者)が10年程前に語っていた言葉をふと思い出す。
これらに共感できる方もいるだろう。
ただ、どちらの言葉も、今の私にはしっくり響いてこない。

不幸・・・、不幸・・・不幸??
ギフト・・・、ギフト・・・、ギフト???

ここで、自分の障がいについての受けとめ方・行動・感情の変遷を振り返り、たどってみたい。

①無関心
私が目で読み書きをし、初めて訪れる場所でも独力で移動できていた頃、もちろん白杖を持つ人や車いすユーザーを見かけること、すれ違った経験はある。
その時、私にとって障がいは、自分には関係のないものだった。
見かけたりすれ違っても、近づこうとはしない。
むしろ距離を取った。

②不安
見え方が他の人とは違うと気づいた時、とても不安だった。
自分の将来はどうなってしまうのか、恋愛なんてできっこない、
精神的にひとりぼっちを味わい、絶望的な気持ちになった。

③ショック・戸惑い
自分には関係ないと思っていたので、自分が障碍者手帳の交付を受けた時、ショックだった。
無理やり印をつけられて仲間外れにされたような、
今まで入っていた部屋から追い出されて別の部屋に入れられてしまったような、そんな気持ちだった。
昨日の自分と、手帳を手にした今の自分、何が変わってしまったのか困惑もした。

④隠す・見栄をはる・必死・疲労
以前の見え方からの変化は十分感じていたものの、「言わなければわからない」位の状態だった時、私は視覚障がいをできるだけ隠していた。
周囲からも自分自信からも事実をごまかしていた。
勤務先では所属部署の人にしか伝えなかった。故に、伝えていなかった人とコミュニケーションの弊害をきたすことがあった。
通勤ラッシュで多くの人がいつもよりせかせかと行動している中、私は足元を確かめるようにゆっくり歩き、後ろから肩や背中を押されたり、怒鳴られた。
学生時代からの友人と距離を取るようになった。

隠し事を抱えると、非常にエネルギーを消耗する。
それでも私は、状況が立ち行かなくなるぎりぎりまで踏ん張り、そうすることがその時の私の優先事項だった。

(続く)