障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすること、悔しさ・不安・喜びを通しての 自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します!

石橋を叩いて渡る慎重派さんタイプ→たくましくチャレンジするおてんばさんへの変貌

 前回の記事で娘がやけどを経験した話に触れた。
やけどを負ったのは月曜日の夕方、その日は緊急で病院に搬送してもらい、
翌日から形成外科へ通院し、処置をしてもらうこととなった。

そして課題となったのが週末の対応。

やけどの程度は通常なら入院レベルではなかったが、
担当医のご配慮で入院の選択肢を頂いた。

しばらくの間、毎日の処置(薬を塗ったり、ガーゼを変えたり、包帯を巻く)に、稼働できる人が2人以上必要となる。
私の場合この"稼働人員"としてカウントしてもらうのは難しい。
傷の様子や正確な場所の把握が難しいのだ。

当時1歳2か月の娘。
コロナ渦で面会は一切できない。
母子同質での個室手配も可能とのことだったが、私にはこの選択肢は選べない。
私の分の食事は自分で用意しなければならず、病棟内を白杖をついて歩くと自分はおろか周囲の安全確保にリスクがある。

決断するのにはためらいもあったが、
結果、入院させていただいた。


とらえ方によっては、約2週間の突然できた自由時間。
娘がこんな小さいうちに自分の時間が持てるなんて有難い話でもある。
私はこの間に、育児について学ぶ時間を取り、自分自身を整えることに時間と気持ちを充ててみることにした。


「子どもは、ママや保護者が自分のことをちゃんと受け止めてくれていると、安心していろんなことにチャレンジできるようになる」

これが学びの一つ。

私は娘と向き合っているつもりだった。
つもりだったのだが、育児しながらスマホをいじったり、
なんだろう、娘が精いっぱい身体中で伝えてくれている色んなメッセージに気持ちが向けられていない部分があったことに気が付いた。

そして、娘が退院後、
私は娘の前でスマホを操作する時間を減らし、
娘が前身で伝えてくれるメッセージに、
共感したり、ありがとう、を伝えるようにしてみた。

そうしたら、娘の様子が変わったのである。

保育園入園1か月後(5月)、
保育園の先生に
「○○ちゃん、みんなといるより静かなところにいるのが好きみたいです。」

入院1か月前(9月)、
「娘さんはすごく慎重で、大丈夫だなってわかってから、1歩、やっと踏み出すようなところがあると思うんです。」

退院して1課か月半後(11月)、
「娘さん、自分の胸の高さまであるベンチに腕の力でよじ登ってびっくりしました!しかも○○ちゃんってそんなことしなさそうなのに、○○ちゃんがそんなことしたからびっくりしたんです!」
「今日公園におおきな犬が来て、他のおともだちと3人で近寄って行ったんです。活発な他のおともだち2人は近寄ったら怖くて泣きべそかいて先生の後ろに隠れたんですけど、○○ちゃんは、『あはは!あはは!』と楽しそうにどんどん近づいて行ってたくましいなと思いました。」
「○○ちゃん、こんなおとなしそうな雰囲気なのに、肩の高さまである高いところに足ひっかけて登ったり、お兄さんやお姐さんのお友だちの中に混じっていくのが楽しいみたいです。」
「○○ちゃん、入院の後に様子が変わった気がします。なんかのびのびしてる!」


娘の様子を入園以来よく観察して下さっている先生に、
・入院の前後で娘の様子が変わったこと
・娘がのびのびと様々なことにチャレンジできていること

この2つに気づいて下さったこと、伝えていただけたことが、私は本当に嬉しかった。
あ、私、出来てるんだ!と思った。

もちろん、子どもも大人もみんな違う。
皆違う気質や目的や背景をもって生まれてきている。
元来の慎重派さんタイプだっているだろう。
色んな育児があっていろんな試行錯誤があっていいと思う。

やけどは自己だった。
同時に、意義深い出来事だった。

私は今回娘が小さいうちにこのような体験をさせてもらえたことを有難いと思う。