障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすること、悔しさ・不安・喜びを通しての 自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します!

子育てから学ぶ360度の伸びしろ "今は、こういう時期"

保育園にお世話になり始めてから3年目。
最近特に、娘の変化・成長を感じる。

入園当初、怖がりで石橋をたたいて渡るタイプかのように思われた娘。
いつの間にか、公園のベンチによじ登ってジャンプしたり、
すべり台をリピートしたり、
公園遊具のボルダリングに挑戦しようとしたり、
屋内のソファでも背もたれによじ登ってすべり台ごっこをしたり、
私を四つん這いにさせて、私の背中に乗って立ち上がってポーズを決めて、
どちらかというと活発さんに傾いている。

虫が嫌いで、絵本のてんとう虫さえこわがっていたのに、
今月急に、おともだちがつかまえてきただんご虫をつんつんできるまでになった。
・・・と思ったら、その翌日からはだんぼ虫をわしづかみ(!)にしているそうで、今やだんご虫探しに夢中。
園で一番だんご虫を触れる子として頭角を現しているらしい。
(私は・・・触れない。。。内心どうしよう、である)

離乳食では口にしていた納豆も、
しばらくあげていなかったら拒否するようになり、
だけど最近私がかき混ぜた納豆を納豆だけでパクパク口にして喜んでいる。

M字に反りあがったおでこをちょっと心配していたのだけれど、
娘の場合は最近になっておでこの上でちょんまげ結びをしてもOKな程度には潤沢な毛髪のハエ具合が観察できる。

一つ上の学年のお友達が大好きで、毎日その子にくっついて遊んでいた。
その子が卒園してしまったらどうなってしまうのだろう、と保育園の先生と一緒に心配していた。
蓋を開けたら、むしろ最高学年になってとってものびのびと同学年のお友達と仲良く楽しく過ごしてくれている。

どれもありがたいケースで、
子どもも人、人は本当に千差万別。
小学生高学年、中学生になっても野菜を全く食べなかったり、
小学校に上がりだしてから、発達障害のような症状が見受けられたり、
いろんなケースがあることも承知している。

私が今回娘の変化をいくつか経験して思ったのは、
なかなか直面していると難しいのだけれど、長い目でとらえてみようとすること、
「今は、こういう段階・状況なんだ」と暫定的にとらえること
これが心のゆとりを生むなぁと。
初めての子育てで、
どうしても毎日起こる出来事が確定事項のように思えて一喜一憂していた私にとって
今、やっと、
「あ、本当に長い目でとらえよう。どうなってくかまだわからないんだから」
と思えるように少しなったかなと思う。

いや、待てよ。
小さい子は特に成長盛り。
大人だからという理由だけで
今までの自分の経験則とか社会の価値観、近しい人の価値観だけで
ダメだぁ~
できない~
無理だ~
こわい~
やめよう~
と思ってしまってきたことって、意外とたくさんあるように思う。

本当は大人だって、もっと言えば障がいがあったって
「今は、こういう状況なんだ」の視点を持って
そこから
じゃあ今何ができるかな
こうなりたいから少しずつこれやってみよう、
って前向きな変化をもっともっと見込むOKを自分に出してあげてもいいんだと思う。

私が今
「今はこういう状況なんだよ、でも大丈夫だよ」と言ってあげたいのは過去の私自身。
不安だらけの毎日を送っていた妊娠中の私。
自分は他の人のようには見えないんだ、とわかった時の私。
変化に対してどちらかといえば苦手で、クラス替えの前の晩はなかなか寝付けなかった私。

「今は、こういう状況なんだよ、でも大丈夫」
そんな視点を持てていたら、もっともっと瞬間瞬間を楽しめたよなぁ。

今からでも遅くはないぞ。