障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすること、悔しさ・不安・喜びを通しての 自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します!

障がいとは、不幸化?ギフトか?それとも?? (2)

(続き)
前回記事:
https://yungu.hatenablog.com/entry/2023/02/01/162956?_ga=2.149410358.1012900227.1675236494-1927628168.1669010510


⑤あきらめる・自分を知る・安心が増えていく
ぎりぎりまで踏ん張り、現状へ抵抗することに心身疲れ切った私は、ついに抵抗することをあきらめた。
休職して、今の自分をまずは知り、専門的なアドバイスを受けながら適切なスキルを身に着けるための道を探し求めた。
私だけではなく、各地域で過去も現在も似たような症状で様々に生活している人が確実にいることを知れた。
白杖を出して歩くことも最初は抵抗があったが、使い方を学び実践を積み重ねることで、安心が増えていった。
パソコン操作もスマホ操作も、画面上の情報把握と入力の両方を音で行えるよう練習を重ねた。診て扱うより聴いて扱うことの方が効率が良いと感じるようになった。
その他、調理や家事、鏡なしのメイクなど、今までとは違うやり方を試し身に着けていった。

⑥挑戦・共有
自分のことを客観的に説明できるようになり、伝えられるようになって
職場に戻って、会社全体への自己開示をした。
関心のある分野の中で自分がよりパフォーマンスを出しやすい領域を組み合わせて仕事内容を組み直した。
学んだことを職場で実践し活用した。
機会があれば社内でも社外でも自分の経験を積極的に共有し、自分の経験に価値を付け加えた。

⑦試行錯誤・気付き
以前とは違う自分の経験への受けとめ方はできるようになったかもしれない。
そして、変化は起きるし変化を起こすこともある。
当然、新しい環境や経験、出逢いの中で、解決策を模索することもある。
その中で強く不安を覚えることもあるし、渦中にいると葛藤と試行錯誤の繰り返しなんてこともある。
ただ、以前よりも、自分を俯瞰的にとらえてみることができるようになった。
そうすると、視覚障がいを持っているがゆえの有難いこと、もしかしたらお得?とも思えることが散りばめられていることにも気付く。

難しいこと・出来ないことに焦点を当てたら、たくさん出てくる。
盛り付けが苦手、目で絵・映像を楽しめない、
自転車に乗れない、車の運転できない、紙の本を読めない、・・・etc.
でも、やり方を工夫したり、手段を変えたり、手伝ってもらったりすることで、
楽しみ方を見出したり、視覚障がいがなかったならば味わうことはなかったであろうものごとの観え方、人との関りがある。

不思議なもので、障碍者手帳を有していなかった時の自分は、山のふもとからの世界を見ていたような気さえする。
山を登る、そう決めて登り始めた時から視界が変わった。
別の山も訪れよう、ママになる、そう決めてから更に違う景色を新たな場所から味わっている。
道も、登り方も、選べている気がする。
どこからどこまでは独りで登り、誰かと登りたい時は誰かと登ることも出来ている気もする。


話を最初に戻す。
では、私にとって障がいとは何か?

今まで出会ったたくさんの言葉や表現の中で、今現在しっくりくるのは 仕掛け だ。
障がいは、人生の仕掛けである。

仕掛けがあることに気づき、もがき、苦しみ、
仕掛けを学び、
仕掛けを活用できるよう努めてもいる。
この仕掛けがあると大変だ、という社会の認識も出来ている。
この仕掛けがあることで時間がかかったり難しいこともあれば、
仕掛けがあることで目立つことも、多くの人とは違う角度からものごとと面することもある。

仕掛けがあるがゆえに、私の人生は確かに豊かである。