障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすることを通しての自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します! 講演やお話会お任せください。ご相談やご依頼は、0707gifts@gmail.comまで、@を半角@に変えて送信頂けます様お願いいたします! 

 私の出産の記録(入院から退院まで)

前回の記事を書いて、自分の出産について記しておきたくなった。
数えきれないほどのケースの中のひとつの例に過ぎないが、どなたかの参考になってくれたら嬉しい。
(前回の記事: https://yungu.hatenablog.com/entry/2023/02/13/140405 )

前回も触れたが、どうなるかわからない分娩を私は恐れていた。
「なるようにしかならない~」
「あとは天と赤ちゃんに任せるだけ~」
「もう俎板の鯉~」
・・・となれればいいのだが、そうもいかないのがワ・タ・シ♪(がっくし)
出来る限りの準備をしたかった私はもがいた。

私にとっては分娩をできるだけハードモードから遠ざけることがとりあえずの自分の命題。
準備として足湯をしたり、体操したり、瞑想したり、産後用にハーブティを用意したり、もしたが、
同じくらいに私にとっては、分娩方法がキーだった。
幸いにして逆子ではなかったし、骨盤の広さ問題ない。体重もつわりで5kg減ってから食べれるようになったので最終的には+5kg程度、血圧も大丈夫。
つまり妊婦健診の段階では普通分娩が推奨されていた。
ただ、私は早くから帝王切開を望んでいた。
手術をすることのリスクや産後の痛みや傷跡のことを承知しつつも、
その時の私にはスケジュール通りに入院・手術を組めることの方が安心だった。

陣痛?どんな痛みがくるかわからない。杖を突いてただでさえ動きに制限がある私には、痛みを抱えながらの突発的な入院はなるべくなら避けたいもの。
どのくらい時間を要するかわからない経腟分娩に挑んで体力消耗するよりも、麻酔が適用され順調にいけば1時間程度の手術をしてもらうことの方が目への負担が少ないように思えた。

で、紆余曲折会って 結局、帝王切開に踏み切ることが出来ず。
(分娩方法の選択にあたっては話が複雑なので省略。ご興味ある方には直接お話させて頂きます m_ _m )、
不安の強かった私は、病院と相談の結果、通常病院では公にアレンジしていない無痛分娩で進めてもらうことになった。
無痛分娩には麻酔医との連携が不可欠だ。
この病院では、無痛分娩は麻酔医が対応可能な指定曜日しか対応できない。
自然な陣痛を待つのではなく、麻酔医が対応可能な曜日に合わせて予定日前に計画的に入院・分娩日が決められた。

***

※ここからは、読者様によっては少々描写が生々しいと感じられる方もいらっしゃるかもしれませんので、苦手意識のある方は、せっかくですが読むことをお控えください。
また別の記事にご訪問頂けますと嬉しいです!

***

ふーぅ。
当日までドキドキするけど、入院まであと一週間。
初産は予定日より遅くなることの方が多いみたい。今日の健診でも、まだ出てこなそう、とのことだったし、残り少ない妊婦生活も貴重だわぁ、と思っていた矢先。
まさにその日の夕方。

・・・尿洩れ?
いや、尿洩れというかジャージャー出てくるぞ、ま、まさか、これが、は、破水?
母に診てもらうとどうやらうっすらピンク色・・・。各定率アップ?

病院に急遽電話したら即来てください、とのこと。

・・・・・もしこれ破水だったら即入院だよね。今日麻酔の先生いないよね。。。てことはもう産むしかないよね。。。

母が車を出してくれて病院へ。
救急入り口から入り、産科からお迎えが車で1Fで待機。
ここに来て便意。ちょっとおならも出ちゃう。

産科からのお迎えが車いすでやって来て、病棟へ向かう。特にまだ痛みはない。
病棟入り口前で母とはお別れ。もしこれが破水だったら退院するまで面会謝絶。コロナ渦だから。

分娩準備室のベッドに寝転がる。どうやら今の所私だけ。

パッドを確認した瞬間、助産師さんの一言。
「破水してますね。このまま入院になります。」

ぁあ、ここで私やっとまな板の上の鯉になります。動かずじっと鯉になります・・・。
随分往生際の悪い鯉である。

そのまま助産師さんから内診。
おー、内診はちょっと痛い。

「もう3cm開いてますね。」
「えぇ?!」
「痛みはないの?」と何度も聞かれる。
特に初産の妊婦さんは子宮口3cm開くまでが大変らしい。
私は・・・まだ特にこれが陣痛?というものは感じられない。お腹もまだ張っていない。ただトイレに行きたい。

赤ちゃんの心臓の音が聴けるようにお腹にベルトを巻いて、子宮口がもっと開くのを待つ。

やっぱりトイレに行きたくて、トイレに行ってみる。
トイレに来た者のスッキリしない。下腹部に違和感。お腹が痛い。
座ったはいいものの、た、立てない。
ゆっくりゆ-っくり姿勢を整えながらベッドに戻る。

で、だんだんやっと陣痛なるものを感じるようになってくる。
そう、あの便意便意だと思っていた下腹部の違和感が時間と共に絞りだすような痛みに変わって来た。

もし経腟分娩になってもいいように、陣痛を和らげる姿勢とか方法は事前にYouTubeで勉強してきた。それを実践。確かにこの姿勢じゃなかったらもっと辛いかも。。。
(ありがとう、YouTuberさん!この時代で良かった!!)

身体をゆっくり動かして痛みを逃がすように体をよじりながら姿勢を整える。
だけど、陣痛の波が来ていない間はスマホをいじってラインなんかをしている私。
前に担当の助産師さんに「分娩準備室に携帯持って行ってもいいですか?」と質問した時に、「いいけど携帯いじってる余裕ないと思うよ」と言われたから、私の場合は楽な方なのかな?

次第に痛みがやって来る感覚が短くなってくる。
助産師さんが度々様子を見に来てくれる。
お腹も張ってきたらしい。

あれは何時ころだったんだろう、日付は確実に変わっていた。ちょっと早いけど分娩室へ移った。
移動は歩いて行ったような気がする。途中停まって痛み絶えながら、分娩室が遠く感じたな。すぐ隣なのに。
分娩大の上に乗ってあおむけの姿勢になるのもゆっくりゆっくり うぅぅーという感じ。
四つん這いにもなりながら、途中動作をしばらく停めながらゆっくり仰向けに。必死。

もうここからは、陣痛の波が来たら分娩大の上でよじったり、バーをつかんでいきんだり。
芽をぎゅっとつむるとよくないらしいから目を開いて、んーーっと力をこめる。
力をこめるといっても、胃の下から下腹部に向かって力を集中する。赤ちゃんが降りてきやすいように。
陣痛の波が収まってる時は、助産師さんと会話はできたけど、ちょっととぎれとぎれ。
はーぁ、はーぁっ。こりゃ大変だ。体力使う。汗びっしょり。
イキむのも、タイミングが難しいけど、どうやら徐々に降りてきてくれているみたい。
いやいや、あなたの方が大変よね。せまい暗い道を未知の世界へ飛び出すんだから。呼吸だって初体験なんだから。

長期戦にならない方がお互いのため。早く終われーぃ、とイキみまくる。

そして助産師さんに「ママ、頑張って!」と呼ばれることの違和感この上ない。
それ誰?私か!慣れない慣れない。

そろそろ、という所で当直の産科の先生もやって来る。
赤ちゃんが出やすいように会陰を切るらしい。
あ~、切るのかぁ。切らなくて済むようにマッサージもしてたんだけどなぁ・・・。

私の様子を見て先生が助産師さんに「ずっとこの調子なの?」と聞いている。助産師さんも「はい」と答える。
え、何その言われ様?何か私アカンのか?(急に関西弁。)
不安だけど、聴けもしない。それどころではない。

いよいよ赤ちゃんの頭が見えてきたら、もうイキんでイキんでイキみまくって押し出せ押し出せ、早く終われー。
頭が出てきたら、何というかするっっという感じだった。

泣いてくれた。肺で呼吸だ!
赤ちゃんを助産師さんが私のお腹に乗せてくれて初めてのスキンシップ。ちっちゃーい!

ここから赤ちゃんをきれいに助産師さんが殿得てくれて、その間私は、あの切開した会陰を縫合することになるのだけど・・・これが痛かった!
私が事前に聴取していた情報だと、会陰縫う時の痛みなんかその前が大変すぎて覚えてないってのが多かったのだけど、
いやいや、ちゃんと痛かった。私はしっかり痛かった。
むしろ会陰切った時より縫う時の方が痛かった印象。意識がどこに集中してたか、の問題なんだろうか。

***

分娩が終わって、分娩室から準備室へ戻る時は既に数時間経過していたが、思ったより下半身がガクガクでとても歩けたもんじゃなかった。
終わってみれば安産と言えるだろう。
分娩台に乗ってからおそらく5時間も経過せずに出てきてくれた。

立ち会ってくれた助産師さんは、
「静かでいいお産でしたよ、いや上段抜きで、本当に」とのこと。
後から知ったことだが、この助産師さんは師長さんと同期のベテランさん。
産科の先生が、ずっとこんな調子なのか、と確認したのも、あまりに静香だったかららしい。
人によっては病棟の老化の端から端まで聞こえるほどにわめき散らす方もいらっしゃるそうで。

うーん、しかし、果たしてこれがいいことなのか自分としては疑問が残る。
もしかしたら私は、痛みに強いのかもしれないし、痛みに対して鈍いのかもしれないし、痛みを表現するのが苦手なのかもしれない。
いや、これ、私にとってはあまりよいことではないぞ。
自分の痛みに敏感でそれを外に表現できた方が、周囲にとってもわかりやすく伝わりやすい。
もしかしたらひと様の平均より我慢できる方なのかもしれないから、これからはもっと自分の痛みにアンテナ立ててアウトプットするように努めてみよう。

***

入院は予めトイレ付の個室をお願いしていた。
移動の導線を確保するために、4人部屋の廊下側(ドア付近)をお願いすることも出来たのだけど、
洗面所は窓側に配置されていたし、新生児とママや助産師さんとトイレや移動時にすれ違いざまに衝突するのは危険危険。

入院翌日の2日目。
私は朝方に出産を終えたので、その日は一日身体を休めることとなる。
赤ちゃんのお世話は新生児室で助産師さんが請け負ってくださった。
ガーガー鬼のように?眠ったか、というとそうではない。
アドレナリン出まくってるのか、興奮状態からか、ほとんど睡眠は取れない。
とにかくベッドの上で横たわっている。

入院3日目。
少しの睡眠をとって、朝起きたら胸が張っている。張りまくっている。むしろ岩。
そしてパジャマが濡れている。
そう、母乳。
人体、もはやヒトだけではない。生物の機能構造は本当に不思議。
分娩終えたその翌日には母乳が出てきてくれた。
ベビーもよく飲んでくれた。

私の場合はこの日から、およそ3時間おきに助産師さんがベビーを新生児室から連れてきてくれて、個室でおむつ替えや授乳指導をしてくれた。
乳腺が詰まってしまうので頻回に授乳する必要はあるが、これからしばらく続くこのサイクル。夜中の授乳は新生児室でミルク対応も可能とのことだったので、夜中2回文の授乳はお願いすることにした。
これが本当にありがたかった。助産師さんたちと色々な話をすることができたし、様々なフォームでの授乳を試すこともできた。

そして何より安心したのは、赤ちゃんを可愛いと思えている私がいたことだった。母性が湧いてきたのだ。

ちなみに縫合した会陰は座位の姿勢を取るたびに悼む痛む。
病院でトイレの便座の形をしたクッションを借りても、それでも痛む。
1週間くらいは授乳の時、ご飯の時など痛みと闘うことになる。

入院4日目。排尿障害を確認。
分娩後からおかしいなと思っていたことだったが、
尿の出方がおかしくて、尿意を感じてベッドから立ち上がった瞬間、破水の時のように一気に出てしまったり、
母乳で取られるのでかなり積極的に水分補給しているのだが、それにしても排尿量が少なかったり。

自分でおしっこが適切に出来なくなる、ことは産後時々起こるらしい。
分娩時にぼうこうなど排尿器官が圧迫されて機能が麻痺してしまうらしいのだ。まぁそれもそうよね。

多くの場合は2週間程度のうちに働きが戻ってくるらしいが、まもなく退院を控えている私は自己導尿が必要となる。

これ、出来ればやりたくない。。。

一般的には、股の間に鏡を配置して、鏡を見ながら自分で尿管に管を通す。
鏡観なくても慣れれば出来るだろう。
いや、出来る/出来ないの問題ではなく、できればやりたくない。。。
管にジェル塗布するにしても、ツンと痛いし、慣れたくない。あーやだやだ。
早く戻ってー、排尿を司る皆様~。

いやいやながらの自己導尿初トライ。
翌日も2,3度試して、問題なければ退院だという。

うぅっ。

その日の夜、事件は起こる。
夜の授乳を個室で看護師さんとして、お喋りしながら搾乳を体験させてもらっている時のこと。
急に体中がガクガク震えだす。
本当にガクガク音が鳴るんじゃないかと思うくらいガクガク。
歯もガチガチ震えだす。
こわっ。

目の前にいた看護師さんも急に私の顔が真っ青&真っ白になって震えだしたのでびっくりしている。
慌てて血圧図って体温図って。
娘をよろしくお願いします、と助産師さんに頼むことは出来た。

熱はすぐに40度オーバー。
寒気もする。
酸素は90切ってるらしい。
何これ、こわい。
私死ぬのか。
独りにしないで。心細い。こわい。
お布団にプラスして電気毛布があってもまだ寒い。
寒いのに汗もビッショリであおむけになっているのに耳の仲間で汗が垂れてくる。

結局一晩、点滴してもらいながら精密検査のために採血したりして過ごした。
翌朝には熱が38度台になっていたと思う。
診断は尿路感染症

退院する前でまだよかった。ベビーも見てもらえていたし、たまたま看護師さんが部屋にいる時に体調の急変があったのもこれ幸い。
すぐに処置や検査をしてもらえて本当に助かったが、本当にこわかった。

体長のことも考えて自己導尿もストップ。
退院は延期。
通常のつけっぱなしの導尿でしばらくぼうこうを休ませて様子をみることになった。

なんやかんやで、通常より長めの11日間の入院生活となった。
退院前日に排尿の働きも戻ってきて、自己導尿なしで退院できることにもなった。

***

結局自分は痛みに強いのか、それとも人並みなのか、はたまた分娩の時だけ不思議な力が働いたのか、感覚は自分だけのものだから謎である。

兎にも角にも、これが私の出産のための入院記録。

ここまでお読みいただきありがとうございました。