妊娠はおめでたいもの、とされている。妊婦は幸せそうでキラキラしているなんて言われることもある。
ただ、何事もそうなのかもしれないが、本人がその状態をハッピーと受け止められていないと、周りからの「おめでとう」をどう受け取ったらいいか困ってしまう。
妊娠中、私は不安を強く感じていた。
出産後、産後鬱になるだろうなぁと自信が持てるくらい、産むことも育てることも、今までの自分の生活ががらっと変わるであろうことも怖かった。
特に出産時や産後の身体にかかる疲労とストレスを案じていた。身体への極度な疲労とストレスが自分の見え方に及ぼす影響がどんなものになるかわからない。
例えば出産は、痛い、とか、気を失った、とか36時間かかかった、とか。聴けば聞くほど体験談は様々。
育児は、大変だけどそれ以上に可愛いらしい。
え、大変なのにかわいいって何だ??
自分の経験を人と比べるのは難しい。出産も育児も唯一無二のものとも言われる。当たり前だが皆主観で語る。
人が「痛い」とか「大変」と言ったら、自分の経験の中の「痛い」「大変」を想像するのが人である。
これ程までに、人の「痛い」「大変」の主張に個人差があることを感じたのは初めてだった。
痛みや大変さに強いか、「痛い」「大変」をどのように表現するかによって、伝え方・伝わり方はこんなにも変わってくるものなのだと気づかされた。
そんなに痛いし大変なのに、それを何度も自ら進んで取り組む人がいるのも不思議だった。
私の場合は?まだどうなるかわからない。すっごい大変かもしれないし、案外大丈夫かもしれない。
産んだ後は?眠れる?眠れない?どのくらい??
可愛いと思える?私に育てられる?私のせいで子どもが嫌な思いをすることは??
とにかく考え出したらグルグルグルグルいろいろ出てくる、ネガティブさんがネガティブさんを連れてきて、このグルグルを盛り上げる。
わっしょいわっしょい。もう、お祭り状態。
そんなネガティブモードな妊婦の私に新しい景色を見せてくれたやり取りがあった。
職場の元上長。女性で当時4歳のお子さんがいらっしゃった。
何かのやり取りで私は自分の不安を打ち明けた。
その時に言われたのがこの一言。
「きっと私が想像できないくらい大変なことが合ったりするのかもしれないけど、あなたのお子さんはあなたのそばで育つことができるなんてラッキーだと思いますよ!」
え?
ラ、ラッキー??
ラララ、ラッキー☆??
ちょっと固まってしまった。
その時の私の子育てのイメージには、不安とか、大変とか、かわいそうとか、そんな言葉しかくっついていなかった。
その元上長は、ご自身の従妹に重度の知的障害の方がいらっしゃるそう。
子ども心にわからずに一緒に遊んでいたが、今思えばもっとできることがあったかなーと時々振り返ることがあるらしい。
そして何より、その経験がご自身の大切な経験の一つになっていらっしゃるとのこと。
時代は多様性を重んじる時代、私には姪っ子がいるのだが、姪っ子に白生まれてくる赤ちゃんにしろ、私のそばで育つことができるなんて、それこそがその子たちへの贈り物でしょう、というのである。
ははぁぁぁーっ。
控えおろーぅ。
もう、衝撃的過ぎて、気分は、殿に土下座。
有難すぎる!
見方を変えれば、光の当て方変えれば、人を変えれば、こんなものごとの見方もあるのだという衝撃。
こんなメッセージをくれる人が近くにいてくれたことへのありがたさと言ったらこの上ない。
そう、見方を変えれば、この元上長のおっしゃる通り、私の姪っ子はラッキーだし、私の娘はスーパーラッキーなのだ。
このやり取りで、私はずいぶん救われたと思う。
これで全てが払しょくされたかというと、そうではないのだが、こういう考え方もできるようになったことが、今でも私を助けてくれている。