時々、私は
「見えてるみたい!」とか
「なんでわかるの?」とか
「障がい者っぽくない」
と言われることがある。
そもそも、
私に視覚障がいがある、
ほとんど目を使わずに生活している、
この前提あってこそこれらの言葉が出てくるもの。
ましてや、障がい者っぽい、とはいったい何なのかはさておき。
多くの人が感覚として認識している五感。
見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れる/触れられる。
これらの感覚を全てフルに用いて生活している人はおそらくほとんどいない。
一方、視覚 見るを無意識に優先的に用いている人は多い。
そして、目を使って楽しめることはご存じの通りたくさんある。
優先的に使っている、とはどういうことか。
判断基準の多くを目で拾える情報に委ねているのだと思う。
実際は、環境にもよるが、子どもの様子を音や他の感覚から把握できることは多いし、
昨今の技術革新のおかげでできることが増えている。
人の感情や心の内が見た目以上に言葉や声であらわされることもある。
五感に限らず、見えているから、見ればわかるから用いていないだけで、記憶でまかなえることもたくさんある。
見えているから、見ればわかると思っているから、
もっと使えるはずの感覚が半分眠っている状態にあったり、
物理的に目ではとらえられないものへの意識が小さくなるのではないか。
だとすれば、
おぉーい、私もあなたもちょっと脱皮できるかもよー??
多くの人が、本来 今のその人以上である、と私は期待する。
いや、今の状態で十分満足。
見えてるんだからそれでいいよ。
それも然り。
私のおすすめは、
時々目を閉じて、音や感覚に集中してみること。
何かをする時に、考え事しながらとか何か別のことしながらではなくて、その瞬間、その場を五感で経験すること。
例えば一杯のコーヒーも、楽しみつくすこと。
こんなことを繰り返して言ったら、今よりはきっと感覚を使う機会が増える。
そうすると何かしら気づきがあって、今までの日常を新たな角度からとらえてみるきっかけが生まれるものだ。
視点や角度が増えるほど、人は選択肢が増える。
思い込みが減る。
余裕が生まれる。
一人一人の生活も、社会も豊かになる。
これが私の信じていること。