障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすること、悔しさ・不安・喜びを通しての 自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します!

私の育児x視覚障害の経験からの気づき☆ じぶん軸を育もう! 自分自身を生きていますか?

私は、子どもに主体性を持った生き方をしてほしいと常日頃から願っている。
自分の子どもは自分にい一番近く、親である私の関わり方が大切なので特にそう思うが、
基本的に私は、自分も含め世の中の人誰もが
主体的な生き方ができるといいなと思っている。

今振り返ると、
子どもの頃、私はどちらかというと必要以上に手と心を掛けられて育ったと思う。
手も心もかけてもらったことはまさしく愛情だしよかれと思ってのことだろう。
それはとても有難いが、少し度を超えると弊害も出てくる。

・自分に自信が持てない。
・他人に任せられない。
・自分の好きなものが何かわからない。
・人のせいにしてしまう。
・周りの目を気にして周りに評価されるようなことを選んでしまいがち。

これらは全て過去の私。

さらにはどちらかといえば優等生タイプだったので、日本の学校での勉強での正解や評価を得られるように行動してきた節があった。

見えづらさと共に、今まで求めてきた周りからの評価を得るどころか、標準的な読み書きが難しくなった。
デスクワークも日常動作も、今までのやり方と同じでは通らないことも出てきた。
今まで常に「誰か」と比べてきた自分が浮き彫りになった。
そんな自分のことをなかなか自分が受け入れられなくて、なるべく視覚障害のことを周りに悟られないようにふるまったりもした。
自分自身を生きられない、受け止められない、
常に何かを隠して生きるというのはとてもストレスフルなことだ。

私の場合、もうどうしようもなくなって、
もう隠し通せなくなって、
そんなタイミングで、勤め先で自己開示の機会を頂き、講演もさせてもらった。
講演では、自分の状況と、これからどのようにしていきたいかを宣言した。

実際に自己開示をするまでは、不安も怖さもあって、今まで持っていたものを失うような気がしていたけれど、
自己開示してみると以前より過ごしやすい世界が拡がっていた。

今ふと思うのは、障害がなかったら、私は今何を求めて生きていたのだろう。

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周りにどう思われるか
それを気にして自分自身を生きない選択をしている人は多いと思う。
あるいは本当は自分が何を望んでいるのかわからなくて気づいていなくてそうしている人も多いと思う。

そこに至るまでには、
育った環境や育てられ方、
影響を受けてきた人からの言葉など
自分が何に価値を置いていたかによって様々だと思う。

この世に生まれてきた意味も目的もみんな違う。
備えられている装備も違う。
選んできた経験も違う。

だとしたら、自分と向き合うことに腹をくくるしかないではないかー!!
というのが、最近、腹くくり度合いをレベルアップした私の心の叫び。

自分自身を生きることが、自分を満たすこと=幸せになることへのメインロードではないだろうか。