障がいから照らす人の可能性

可能性照らし家 西井あやな。 人の持つ可能性にわくわく。 大人になってから視覚障がいを持つ。 視覚障がいを持って働くこと、子育てすることを通しての自分の気づきと経験を惜しみなくできるだけわかりやすく表現します! 講演やお話会お任せください。ご相談やご依頼は、0707gifts@gmail.comまで、@を半角@に変えて送信頂けます様お願いいたします! 

普通でいたい症候群

世の中変化しているので、現在どのくらいの人が「普通」にあこがれ、「普通でいたい」と願い、「普通でいる事」に安心するのかはわからない。
ただ少なくとも、過去の私は、間違いなくこの「普通」に無意識に安心感を覚え、求めていた。
自分の心からのモチベーションでものごとを選択していたというよりは、社会や時代、親、学校内の価値観が自分の選択肢になっていた。
まさに普通おばけ に取りつかれていた。

私の学生時代はまだYouTubeSNSはなく、情報収集手段と言えばテレビと雑誌が主だった。
そこで取り上げられたものが流行した。
流行りの格好、流行りの髪形、流行りの小物、流行りのメイク。

高校生で進路を決める時、私は小学校の教員になりたいなと思っていた。
ただその進路に向かったとして、私には目へのコンプレックスがあった。
子どもの様子をしっかり観察し安全配慮ができるのか、自分の将来に自信がなく、その選択肢を手放した。

有難くも、進路は大学進学が当たり前だと思っていて、
志望分野は自分の興味のある分野でなんとなく決めた。
でも強い想いがあったわけではない。
受験大学も、いわゆる有名大学=自分の往きたい大学、になってしまっていた。
今振り返ると、どうしてあれらの学校を志望大学にしていたのか、正直わからない。

学生時代、恋愛をするものだと思っていた。
好きな人が欲しかったし、できるならお付き合いがしたかった。
でもどちらかというと、彼氏がいる自分が欲しかったのかもしれない。
自分が好きだと思っていた人じゃない人に告白したことが、思い返すと、2度ある。
昔好きだった人のことも、周囲から「仲いいよね、付き合ってるの?」と言われたことがきっかけでただそれだけ。多分その人のことが好きだったわけじゃなくて、彼氏のいる自分を手に入れたかっただけ。

さすがに今はこのような恋愛はしない。
だけど、今でも、自分が何が好きか、何をやりたいか、わからなくなることがある。

社会人になって、働きながら見え方がいつの間にか変化していった。
その時も、一生懸命、見えづらいことを知られないように頑張った。
隠していた。そうじゃないと 普通 じゃなくなる気がしてこわかった。
普通じゃない私が、周囲からどのように思われるのか 怖かった。

今思うと、普通とはとてもあいまいな価値観でしかない。
今は、「普通」を「大多数の価値観」という言葉に置き換えてとらえることができる。
もはや、現代は、この"大多数"の範囲がどんどん小さくなっていて、普通 以外にたくさんの様々な価値観が浮き彫りにされ大切にもされている。
選ぶ責任と楽しさを以前より味わいやすくなっていると思う。

過去の私は、自分の心の声に耳を傾けることが十分にできていなかった。
もしかしたら、聴こえていたかもしれないが聴こうとしていなかったかもしれないし、聴く勇気がなかったのかもしれない。

今からでも遅くないから、大切な自分と自分の心の声で私の人生を彩っていく。